NISHIJIN 2 CHOME
西新2丁目
現地から約290mの街並み
NISHIJIN HISTORY
神聖な地の記憶。
「今昔福博絵図」17世紀末の福博古図に現在の地図をCG加工したものです。
かつては西新二丁目に鎮座していた「紅葉八幡宮」。
福岡藩の守護神が祀られ、信仰を集めた地。
福岡藩・黒田家の守護神として崇敬され、今も市民に親しまれる紅葉八幡宮(現・早良区高取)。1482(文明14)年の建立当初は、現在の西新二丁目周辺に鎮座。藩の御祈願参拝や神事が慣例になっていたとされ、神聖な地として崇められた記憶を有しています。江戸時代、西新は「紅葉八幡宮」の門前町として発展。明治末期以降は軌道・鉄道が開通、都心近接でありながら自然も豊かな住宅地として進化し、現在の歴史や文教が薫る邸宅街に至ります。
PREMIUM INTERVIEW
「紅葉八幡宮」から紐解く「西新二丁目」の歴史
黒田家が見初めた土地
江戸時代、紅葉八幡宮が橋本村より西新二丁目に遷座してきました。遷座を命じたのは当時の黒田家三代目藩主光之侯。彼にとって紅葉八幡宮は両親が出会い、自身が生まれ育ち、思い入れの深い場所でした。そんな思い入れ深い紅葉八幡宮に、荘厳な社殿を建立したいという強い想いで、「西新二丁目」を選定したと伝わっています。
発展を続けてきた西新二丁目
西新二丁目への紅葉八幡宮遷座に伴い、周辺の街並みも整備されていきました。明治時代になると鉄道の開業によって、境内に線路が敷かれることになり、西新の今後の発展のために、土地を譲る形で紅葉八幡宮は現在の藤崎へと移転しました。「発展の神様」としても知られる紅葉八幡宮が、“来て発展、去って発展”してきた西新二丁目は、古くから人々に敬拝され、時代と共に歩みを進めてきた歴史深い地なのです。
紅葉八幡宮
禰宜 平山道宜 様
紅葉八幡宮の禰宜(ねぎ)を司る平山様が語る、歴史深い紅葉八幡宮や西新周辺。
MEET PRECIOUS VALUE
西新二丁目、その得がたき立地。
現地から約60mの街並み
西新二丁目アドレスにおいて
※九州産業研究所調べ
駅近ながら一歩奥まった閑静な立地に、誕生。
現地は、住環境を保護することを目的に定められた第二種住居地域。駅まで徒歩圏でありながら、周辺は低層のマンションや戸建てが建ち並び、閑静な住宅街を形成しています。また、南と東の二方に接道する角地のため、独立性と開放性を得られる立地となります。その角地を活かし、邸宅のための心地よさを醸成しながら、近隣とのゆとりも創出するランドプランを描きます。
- ※上記記載距離は、住宅地図をもとに現地メインエントランスおよびサブエントランスからの最短距離を計測したものです。※徒歩距離分数は、分速80m、自転車による所要時間表示は250mを1分として、徒歩ルート上を走行した場合の参考表示です。尚、この所要時間はあくまで公的機関に沿った参考時間を表示したもので、信号の待ち時間等は含まれておりません。※掲載の環境写真は、2023年9月に撮影したものです。